تسجيل الدخول巨体が大きく揺れ、そのまま石畳へ崩れ落ちた。 ゆっくりと土煙が晴れる。 焦げた胸板。 焼き潰れた右目。 額にはヴェルカの蹴り跡が深々と刻まれていた。 それでも、ベリアルは起き上がろうとはせず、ただ自分の掌を見ていた。『ぐ……。何故、だ……』 低く唸るような声が響く。『何故、我に攻撃が届いた』 その問いは俺たちではなく、自分自身に向けられているようだった。『我に奪えぬ価値はない。我の前では全てが無価値となるはず』 大きな掌――その中央に空いた風穴を見つめ、ゆっくりと握る。 触れたものの価値を奪う掌に、初めて付けられた傷なのだろう。 その姿を見て、ヴェルカが鼻で笑った。「どうやら神様ってのも、案外頭は固ェみたいだな」 神を名乗るには、随分と間抜けな顔だ――そう言わんばかりに肩を竦める。 ミリスが俺とベリアルを見比べる。「結局、どうして攻撃が当たったの?」「私にも、全く見当が付きません」 屋根から降り立ったカグヤが静かに首を振った。「私の符術は、触れられた瞬間に崩壊しました。それなのに、クラド殿の攻撃だけが通った理由は……」「そこなんだ」 俺は二人へ視線を向けながら言った。「考え方が、逆だったんだよ」「逆?」 ミリスが瞬きを繰り返す。「じゃあ逆に聞くが、お前ら、音を殴ったことはあるか?」 その横から、ヴェルカが割って入ってきた。「……え?」「光でもいい。掴んだことは?」 あまりに突飛な問いに、二人は揃って黙り込む。「そんなのできるわけ――」 言いかけたミリスの横で、カグヤが眉を寄せた。「というより、それと今回の戦いに何の関係が……」「ああ、普通なら関係ねえ」 ヴェルカはニヤリと笑う。「けど今回は、その"普通"が答えなんだよ」 俺も頷いた。「俺の能力も、ベリアルの能力も、本質は同じだ」 掌を見つめながら続ける。「触れたものの価値を扱う能力。ただ、俺は価値を変えられて、あいつは奪う。それだけの違いだ」「つまり……同じ条件でしか発動しない?」 カグヤが静かに口にする。「そういうこと」 するとミリスが、まだ納得できない様子で首を傾げた。「でもカグヤの攻撃だって、光みたいなものだったよ?」「いえ……厳密には違います
急ぎ足で競売会会場――オペラ座を出ると、露店の連なった夜市が広がっていた。 ほんの数分前まで笑い声で満ちていたはずの夜市は、もうそこにはない。 果物を抱えた商人は荷車を放り出し、家族連れは悲鳴を上げる子供の手を引いて逃げる。 行き交う人々が我先にと押し合い、倒れた誰かを踏み越えて逃げて行く。 その中心に、夜空を背負うように立つのは、三メートルを超える怪物。 ベリアルは逃げ惑う群衆など眼中にない様子で、一軒の露店を掴み上げた。 次の瞬間、その屋台は砂のように崩れ始めた。 木材も、布も、並べられていた雑貨も。 触れられた全てが色を失い、灰となって夜風へ溶けていく。『脆い』 ベリアルは掌に残った灰を見つめ、退屈そうに呟いた。『価値無き器は、触れるだけで崩れる』 言葉と同時に近くの露店を蹴散らす。 その風圧一つで、周囲のテントが舞い上がり、小さな瓦礫が飛び荒む。「皆さん、下がって!」 《硬》 カグヤが間髪入れずに札を切り、障壁を展開した。 それでも勢いがついた瓦礫は、その障壁すら突き破って襲いかかってくる。『先刻の人の子か。何をしに此処へ来た』「そんなの決まってるだろ! オマエを止めに来たんだ!」「街を壊すなんて、そんなの許さない!」『戯言を。貴様らのような無価値なデク人形に、我は倒せぬ』 ベリアルは俺たちを見下しながら、一歩踏み出す。 地面が大きく揺れ、思わず転びそうになる。『だがこの我に立ち向かう勇気、賞賛に値する。価値なき勇気だがな』「図体だけじゃなく、態度もデカいとはなァ。ハッキリ言って、私はアンタが嫌いだぜ」 ヴェルカは鼻で笑い、スカートの裾を豪快に引き裂いた。 そして先程のお返しと言わんばかりに右脚を踏み出し、ベリアルの顔を睨み上げた。「テメェにも教えてやるよ。人間サマの本気がどれくらい恐ろしいモノかをよォ!」『雑兵ほどよく吠えるものよ。まずは貴様から血祭りに上げてくれる』 巨大な拳が、ゆっくりと持ち上がる。「来るぞ!」 俺が叫ぶより早く、ベリアルの拳が大地に叩き付けられた。 轟音。 |石畳《いし
嫌な汗が背中を伝った。 アルベリオの身体に走った無数の赤い線が、鮮血となって噴き上がる。 噴き出した血飛沫がステージを赤く染め、観客席側から初めて恐怖の悲鳴が上がった。「おいおい、どうなってんだこりゃ?」 ヴェルカは目を丸くして周囲を見渡す。 誰がやったのか、アルベリオを襲撃した犯人を捜しているのだろう。 アルベリオだって、何が起きたか分からず放心している。 無理もない。 けれど俺たちには、それが何者の仕業なのか、薄らと分かりかけていた。 実際に、それを一度味わっているから。 だからこそ、恐怖が背筋をなぞる。「この現象って、まさか」 冷や汗がカグヤの頬を伝う。「なんで? ミリスが見た時、アイツは……」「いや、ミリスを疑うつもりはない。でも、この“能力”は間違いない」 そもそも、俺たちはアルベリオたちを殺すために来たワケじゃあない。 息があればそれで充分。カグヤの貨物を取り返せたらそれで良かった。 しかし、だったら何故――。「……一体これは、何の真似だ?」 アルベリオが、スーツを血に染めながら裏口を睨む。 その視線を追うように、俺たちも後ろを振り返った。「ゼロ……まさか、裏切ると言うのか!」「裏切るなんて酷い言い方は止してくれよ、会長」 裏口の前に立っていた男――ゼロは、指先でナイフを回しながらため息を吐いた。 顔はボコボコ、腕や脚に無数の痣を付けながら、しかし痛覚がないみたいに笑っている。「ぼくはずっと、この瞬間を待っていたんだよ」 言い終えると、ゼロの口が横に裂けた。 そのまま一歩、また一歩と歩み出し、すれ違い様に俺たちを振り返る。 だが、ゼロは俺たちに襲いかかるでもなく、アルベリオの前でしゃがみ込んだ。「ありがとう会長、おかげで予定通りに計画が進むよ」「ゼロ……君は一体、何者なんだ……?」 アルベリオは傷だらけの体を震わせながら、ゆっくりとゼロを見上げた。 するとゼロはにっ、と歯を見せるように唇を開いた。 笑っているのだろう。けれど、口角の筋肉が全く動いていない。「ぼくはゼロだよ。《奈落の楔》のゼロさ」 初めて聞く名だった。 ミリスとカグヤは言わずもがな。アルベリオも同じ表情を浮かべた。 誰一人として、その名に覚えがない。 ただ
「まさか……ゼロを倒したというのですか……?」 初めてだった。 アルベリオの貌から、余裕が音を立てて剥がれ落ちた。 ミリスは頬についた血を親指で拭いながら、にっこりと満面の笑みを浮かべる。「あんな奴、ミリスの敵じゃなかった」 ……笑顔で嘘を吐くな。 白かったドレスは赤く染まって、髪は煤だらけ。 両手なんて、小刻みに震えっぱなしじゃないか。 明らかに大丈夫ではない。けれど、「ハッ、強がりやがって」 その姿を見たとたん、ヴェルカが思わず吹き出した。「一体誰に似たんだか」 言いながら俺を一瞥した。 ――いや、多分アンタだと思うぞ。 口には出さず、目で言い返す。 それでも、ミリスの軽口が聞けただけで、胸の奥が少しだけ軽くなった気がする。 俺とカグヤ、ヴェルカ、そしてミリス。ようやく全員揃ったんだ。 それだけで、不思議と負ける気がしなかった。「……なるほど。これで四天鑑定は全滅ですか」 アルベリオはゆっくりと息を吐き、頭を抱えた。「悔しいですが、認めましょう。ヴェルカ、あなたの弟子は相当優秀なようですね」「今更褒めたって、お世辞でも嬉しくねえぜ」「だとしても、四天鑑定を退けた事実は受け止めざるを得ない」 非常に悔しいですがね。アルベリオはそう結んで、ニヤリと口の端を吊り上げた。 確かに俺たちは四天鑑定を倒した。 それなのに、胸は少しも晴れなかった。 むしろ、嫌な予感が背筋をなぞる。「だからこそ残念で仕方が無い。優秀なキミたちが、こんな悪女に利用されていることが」「悪女……?」 ヴェルカが? 利用している?「バカを言うな! 何を証拠にそんなことを!」「証拠? それは既にキミたちも知っているはずでしょう?」 アルベリオは露骨に大きなため息を吐いて、憐れんだ目を向けてきた。 けれど、その目に射貫かれて、ヴェルカとのこれまでの出来事が脳裏を駆け巡った。 商会で出会った日。 ガザルム坑道で、本当に死にかけたこと。 理由も聞かされないまま、この競売会へ連れて来られたこと。 ……言われてみれば。 俺たちは一度も、ヴェルカの本当の目的を聞いていない。「…………」 信じたい。けれど、反論できない。
ガベルが競売台に突き刺さった瞬間、それまで怒号と歓声で揺れていた会場が、水を打ったように静まり返った。 何百という視線が、一斉に俺たちへ突き刺さる。 ……やっちまった。 頭より先に身体が動いた結果がこれだ。 頬が熱い。 今さら「人違いでした」なんて顔をして帰れたら、どれだけ楽だろう。 そんな情けない考えが頭を過る。 けれど、俺の背中にはミリスがいる。 傷だらけになりながら、それでも笑って俺たちを送り出してくれた少女がいる。 あの笑顔を見た後で、アルベリオに背中を向けるなんて、できるはずがなかった。「……残念です」 アルベリオは本当に残念そうに息を吐いた。 怒っているわけじゃない。 むしろ、「どうして分からないんですか」とでも言いたげな顔だった。 その穏やかさが、余計に腹立たしい。「膝を撃ち抜けば、十分だと思っていたのですがねえ」 白い手袋を嵌めた指が、静かに俺を指す。「痛みは優秀な教師です。一度教えれば、大抵の子供は二度と同じ失敗を繰り返さない」 まるで当たり前の真理でも説くような口調だった。 その声音には、人を撃った罪悪感なんて欠片もない。「ですが、どうやら私も買い被っていたようだ」 黄金色の瞳が、ゆっくりと細くなる。「ヴェルカの弟子が、ここまで聞き分けの悪い子だったとは」「……言ってくれるな」 膝の痛みより先に、胸の奥がじりじりと熱を帯びていく。 思わず言い返しかけた、その時だった。「違う。それは教育なんかじゃない」 カグヤの声は震えていた。 それでも彼女は一歩も退かず、アルベリオを真っ直ぐ見据えて言い放った。「ただの脅しだ!」「結果が同じなら、過程はどうだっていいでしょう?」 アルベリオは眉一つ動かさない。 牧師のような穏やかさで、ゆっくりと言葉を重ねていく。「商売だって同じですよ。利益を得るためなら、手段は何だっていい」 その笑みが、僅かに深まる。「たとえ命を奪うことになったとしても、ね」「腐ってやがる……!」 思わず吐き捨てた俺を見ても、アルベリオは肩を竦めるだけだった。「だから、残念ですが愚かな君にはここで死んでいただきます」 白い手袋を|嵌
人間という生き物は、案外しぶとい。 それは賞賛ではなく、どちらかと言えば呆れに近い。 それがラグナの抱いた感想だった。 骨が折れようが、血が流れようが、肺が焼け付こうが、それでも生きることを諦めない。 否、諦める暇すらないだけなのかもしれない。 少なくとも今のミリスは、その典型だった。 ゼロとの戦いを終えた彼女は、自力で立っていることすら難しい状態だった。 にもかかわらず、それでも前へ進こうとしていた。 だがその度に身体が揺れ、今にも倒れそうになる。「無理しないで」 見兼ねたラグナが肩を貸す。 ミリスは少しだけ驚いた顔をした後、小さく笑った。「ラグナ、意外と優しい?」「私好みの可愛い子にだけはね」 呆れたように返しながらも、ラグナは肩を竦める。 優しい。 そんな言葉で片付けられるほど綺麗な理由ではない。 ただ少しだけ。 本当に少しだけ。 あの無表情な暗殺者が追い詰められていく様子が愉快だっただけである。 だから助けた。 それだけだ。 ――たぶん。 地下倉庫の崩れた通路を歩きながら、ミリスはぽつりと呟いた。「ねえ、ラグナ」「なあに?」「どうして助けてくれたの?」 その問いに、ラグナは一瞬だけ空を見上げる。 正確には天井だった。 けれど今は、空と呼んでも間違いではない気がした。「さあ、知ーらない。私は何もしてないわよ~?」 そう答えた後で、ラグナは少しだけ口元を緩めた。「でもそうね。きっと、勝利の女神様が微笑んでくれたんじゃない?」 だが数秒考え込み、「……いいえ」 と、自分で否定する。「今回ばかりは、微笑むどころか大爆笑してたみたいだけど」 その言葉に、ミリスは意味が分からないという顔をした。 勝負事というのは、公平であると同時に、もっとも不公平なものである。 しかし、だからこそ面白いとラグナは考える。 そして今回の勝負は、きっと女神様のお気に入りだったのだろうと、ミリスはそう結論付けた。 *** 一方その頃。 地下深くに築かれたオペラ座 《ファントム》では、既に夜天競売会の前哨戦が始まっていた。 幾重にも連なる赤い客席、天井を埋め尽くす豪奢なシャンデリア、舞台を







